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古墳時代の警備とは

古墳時代の警備とは

古墳時代というのは、縄文時代や弥生時代と同じく年代はあいまいです。
古墳とは天皇や王族、貴族、豪族などのお墓を指します。

全国津々浦々に古墳は残っているので、当時の日本はまだまだ統一国家ではなかったという証とも言えます。

古墳時代は200年-600年頃を指すと言われ、600年ともなると飛鳥時代と被っている事になります。
この辺りの書物が残っていないことから、時代背景のあいまいさが生じてしまいます。

 

古墳時代は神話の時代とも被ります。

例えば日本武尊は有名ですが、どの時代に存在したかはあまり検証されません。

考古学上実在したとすれば、300年中期頃かと考えられています。

そうするとこの古墳時代とぴったり一致します。

 

日本武尊像 大阪府堺市 大鳥神社

 

 

では日本武尊は何を成し遂げたのでしょうか。

 

細かい事は省きますが九州の熊襲を征して、
伊勢神宮に寄った際に【草薙剣】を頂くわけですね。

 

そしてそのまま東征していきます。
東征の相手は蝦夷(えみし)と呼ばれる人々です。

 

当時の日本には数百のクニが存在し、統一国家ではありませんでした。
その覇権をかけて戦を繰り返していた時代です。

 

よく出雲は【国譲り】といわれます。

 

最終的に国を譲ってはしまったが、そこに至るまでには権謀術数のせめぎあいがあったことでしょう。

 

とにかく九州征伐や東征を仕掛けていき、ヤマト王権が倭国の統一政権となっていきました。

それでは当時の古墳を見てみましょう。

 

見事なまでに整形された前方後円墳は時の有力者のお墓というイメージで理解できます。

しかし下の写真を見てみると、その印象はまるで異なります。

 

もはやお墓ではなく城砦と見ることが出来ます。
ではなぜ城砦が必要だったのでしょうか。

 

ヤマト王権から我がクニを守る地方豪族

天孫降臨 高天原は宮崎県の高千穂が有力候補の一つです。

 

皆さんが良く知っている神話の始まりはここからです。

そして九州の近隣をまとめ上げながら、東征の大号令で東へ進軍していきます。

それらの攻撃から国を守るために必要なのが【警備】でした。

当時は警備員とは呼ばれていなかったですが、安全を担うという点に関して役割は同じです。

おそらく24時間の3交代で警備体制を整えていたのではないかと考えます。

 

今のように交通誘導2級だの施設警備1級だのという、資格制度ではありませんが、
それでも束ねるのが上手な警備員は、警備隊長の役割を全うしていたに違いありません。

 

また配置を組む管制官もいたのではないかと考えると、警備の歴史はかなり古いものだと感心しますね。

安全というものは不変的だという事が明らかになりました。