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警備の始まりは弥生時代!?

縄文時代っていつ?

縄文時代(じょうもんじだい)は、日本列島における時代区分の一つです。旧石器時代の後に当たり、世界史では中石器時代は、新石器時代に相当する時代とされています。

始期と終期とについては多くの議論があり、始期に関しては一般的紀元前1万6000~8000年前と考えられています。終期は概ね紀元前2000年とされています。

 

世界の四大文明とは?

世界の四大文明とは、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明の四つを表します。

 

メソポタミア文明は、チグリス川とユーフラテス川の間の堆積平野に生まれた世界最古の文明とされ、紀元前約4000年前

エジプト文明は、ナイル川流域の古代エジプト文明で紀元前約3000年前。

インダス文明は、インドのインダス川流域の文明で紀元前約2500年前。

黄河文明は、黄河流域に栄えた古代の中国文明で紀元前5000年前。

このような時代年表ですが、実は我が国の縄文文明がはるか昔から栄えていたという実に誇らしい歴史のロマンがあるのです。

 

なぜか注目されない縄文時代

このような最古の文明と言っても過言ではない縄文時代がなぜ注目されてないのか。

やはり縄文時代=石器時代、このようなイメージが定着しているからです。

果たして縄文時代が文明として劣っていたのか。

縄文時代の素晴らしさを知ると決してそうではないと理解してもらえるはずです。

 

高い海洋技術を持っていた縄文時代

新潟県の「県の石」に翡翠(ひすい)は、世界的にも有数の産地である糸魚川で採掘されます。縄文時代にはすでに県内を越え、北は北海道から南は九州まで、この産地の翡翠が広がっていました。

これによって縄文時代にはすでに高い海洋技術を持っていたと想定されます。

 

 

他の文明に後れを取った縄文時代!?

世界最古の文明と言っても過言ではない縄文時代ではありますが、やはり世界四大文明と比べると文明発展の遅れが目についてしまいます。

例えば、広大な宮殿を作る技術がなかったり、武具甲冑の技術も四大文明に比べると発展しておりません。

これを単に文明の進歩がなかったと捉えるかです。

縄文遺跡から出土される遺骨にはほとんど争った形跡が見当たりません。

従って縄文時代には血で血を洗うような大きな争いがなかったと唱えられています。

そう考えると争いを基礎としたイノベーションを築く必要性がなかったと考えるのも不思議ではありません。

 

争いは弥生時代から?

弥生時代の遺跡から出土される遺骨には、武器で切断されたり刺されたりした痕が見受けられます。ここから我が国の文明的発展は加速していきます。

集落には首長が存在し、それらがやがて倭国の大乱へと繋がっていきます。

この辺りから首長を警護する役割のポジションが生まれたのではないかと予測されます。

つまり【警備】の発祥は弥生時代という仮説が成り立ちます。

 

当時の警備といっても、施設警備や交通誘導を弥生時代にやっていたとは想像つきません。

 

現代の警備業に照らし合わせると、【要人警備】

すなわち4号警備にあたると思われます。

 

警備業がその存在を広く認識される契機になったのは、1964年東京オリンピックの選手村の警備です。

 

その後、高度経済成長期における企業の合理化と雇用の拡大を背景に急速に発展してきました。

警備業は他人の生命と財産を守る安全産業です。

 

もしかしたら、警備業は日本最古の業種の一つかも!?

 

そう思うと警備業に対する誇りが芽生えるきっかけになるかもしれませんね。