邪馬台国 卑弥呼の警備
邪馬台国の謎
邪馬台国とは2-3世紀に日本列島に存在した一つの国です。
当時の日本は【倭国】と呼ばれていました。
三国志で有名な魏で書かれた魏書「烏丸鮮卑東蝦夷伝」の一部に、倭の事が書かれています。
これをひとまとめに【魏志倭人伝】と我々は呼んでいます。
この【倭】は委ねるに人を付けた文字です。
つまり魏(当時の中国)にとって、ゆだねて従順な民族という事だったと推測することが出来ます。
この時代の日本には100前後の国が存在したと言われています。
しかし、そんな予測は所詮カンに過ぎません。
琉球、東北、北海道を入れたら100なんぞでは到底足らないのではないかと予測できます。
魏志倭人伝によると邪馬台国は元々男子を王として倭国を治めていました。
70-80年前から倭国全体で長期にわたる騒乱が起こっていたのです。
これを【倭国大乱】といいます。
そこで卑弥呼が女性の王として争いを鎮めた。
卑弥呼は鬼道に仕えて、衆を惑わした。
年長だが夫はいなかった。
そのため、弟が国政を担当した。
卑弥呼が王となって以来、人とはほとんど会わない。
1000人の従者が仕えたが、ただ一人の男子が居室に入って、
飲食の給仕、伝言の取次ぎをした。
錠作が設けられ、常に兵が守衛している。
(魏志倭人伝)
魏志倭人伝にもこの時代の【警備】の事が記されています。
卑弥呼は景初2年(238年)以降、帯方郡を通じて「魏」に使者を送り、皇帝から「親魏倭王」に任じられました。
やがて【倭(わ)】は【倭(やまと)】と呼び名を変えて【大和】と変わっていきます。
この観点から邪馬台国卑弥呼が数多ある国々を、ひとつの国【倭】にまとめ上げました。
邪馬台国 卑弥呼の謎
ひとつの国【倭】にまとめた卑弥呼 この時代の天皇が崇神天皇です。
紀元後68年-とされています。
崇神天皇は実在した可能性のある最初の天皇とされています。
当時の国の治め方は祭祀を司る【祭祀王】と政治を司る【統治王】の両輪であったと考えられています。
つまり動乱の時代を治めた【祭祀王卑弥呼】と【統治王崇神天皇】が倭国をまとめ上げたのではないかと考察することができます。
「ひめみこ」というのは姫巫女、もしく日巫女、すなわち「みこと」(命・尊)である神様に仕えていた、高貴な姫とも考えることが出来ます。
邪馬台国の王室に生まれた卑弥呼が巫女としてとして神に仕え、祭祀王となり国の動乱を治めたのではないでしょうか。
邪馬台国 卑弥呼の警備
魏志倭人伝には「官室、桜観、城柵、厳かに設け、常に人有り、兵を持ちて守衛す」と記されています。
この光景は吉野ケ里遺跡の有様に大変合致するものです。
つまり外敵からの防御に特化した環濠集落です。
倭国南端に敵国の狗奴国があったため、倭国の王都 邪馬台国は常に狗奴国の攻撃に対する緊張状態にあったようです。
だからいつも武器を備えて警備をしていたと考えられます。